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自殺した開業医遺族、鳥取県東部医師会と調停へ -  津曲

2012/07/19 (Thu) 19:59:24

http://www.m3.com/iryoIshin/article/156052/index.html?portalId=mailmag&mmp=MD120719&mc.l=1773330
自殺した開業医遺族、鳥取県東部医師会と調停へ

監査で抑うつ状態に、「事実関係を明らかにしたい」

2012年7月19日 橋本佳子(m3.com編集長)

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 故増田聡子氏の夫で、横浜市の開業医である増田肇氏ら遺族は7月19日、聡子氏が所属していた鳥取県東部医師会に加え、同医師会会長の板倉和資氏を相手とした調停を鳥取簡易裁判所に申し立て、同日、厚生労働省内の記者クラブで会見を開いた。

 聡子氏は鳥取県鳥取市で「プラザクリニック」を開業していたが、個別指導・監査を受け、約50万円の診療報酬の不正請求を理由に、2007年11月1日付けで保険医療機関の指定と保険医登録の取消処分を受けた。聡子氏は、指導・監査を機に抑うつ状態になり、同年12月28日に自殺。監査は計4回実施され、4回目に立ち会っていたのが板倉氏で、当時も鳥取県東部医師会会長だった。聡子氏の取消処分を決定した、鳥取地方社会保険医療協議会にも出席していた。

 聡子氏は、鳥取県東部医師会に2007年11月30日付けで任意退会するために退会届を提出したが、同医師会は受理しなかった。その代わりに同医師会は、会員の処分等を決めるための裁定委員会を、聡子氏欠席のまま12月19日に開催、聡子氏の死亡後の2008年2月18日にも開いている。最終的には、同医師会は「死亡を確認した」とし、2007年11月30日付けの退会を認めている。


調停申立は、増田聡子氏の遺族(夫と3人の息子)の連名。7月19日午後1時30分からの記者会見には、肇氏(左)と三男が同席。右は代理人弁護士の井上清成氏。

 肇氏らの代理人弁護士の井上清成氏は、「調停は、一連の経緯を明らかにして、医師会と医師会員との関係はどうあるべきか、また監査において医師会はどんなポジションを取り、いかなる役割を果たすべきかを考察するのが目的。指導・監査そのもののあり方や、自殺と医師会の行動などとの因果関係を立証し、責任追及することが目的ではない」と説明する。

 具体的には、任意退会と死亡退会の相違、裁定委員会の付託基準および要件、指導・監査の現状と聡子氏の監査時の心身状態などについて、鳥取県東部医師会に対して説明を求める(文末を参照)。「医師会は任意団体。退会をしたいと言ったら、理由を問わず退会を受け付けるべきではないか。実際には聡子氏の退会に当たっては、いろいろなやり取りがあった。なぜ任意退会を素直に認めなかったのか。どのような意図を持って裁定委員会を開いたのか」(井上氏)。

 調停という方法を選んだのは、お互いの話し合いの中で事実関係を明らかにしていくためだという。聡子氏の死亡前後に、別の弁護士が同医師会とやり取りした経緯がある。その際は、「かみ合っていなかった」(井上氏)ため、裁判所という第三者を入れた方が適切な話し合いができると判断した背景もある。調停のつど、その内容を記者会見などで明らかにしていく予定だ。

 現時点では、調停の落とし所は考えておらず、井上氏は、「遺族にとっては見えない点が多く、心の整理ができない部分があると思う。事実関係について説明を受け、十分納得するまで質疑応答を続けていきたい。ただ現時点では調停後、医師会および板倉氏に対して公的な責任を取ることは恐らくないと考えている」と語る。

 一方、鳥取県東部医師会は、7月19日午後の時点では、「まだ調停の内容を見ていない。当医師会としては調停の内容を見て、医師会としての対応を検討したい」とコメントしている。

 返還額は約1193万円、過去5年のレセプト対象

 聡子氏は、1994年に故郷の鳥取市で開業した。平日は鳥取市で診療を行い、週末に横浜市に戻る生活を続けていた。医療法人立で、在宅医療も手掛け、グループホームも経営していた。

 個別指導を受けたのは、2007年7月25日。例えば、保険適用外の経腸栄養剤を保険適用のある別の薬に代えて請求したほか、無診投薬が見られた。特定疾患療養管理料を対象疾患以外で算定したり、またX線撮影の際に看護師にスイッチを押させたりする例などがあった。

 その後、8月20日、9月4日、9月11日(この日は事務職員のみ出席)、9月26日の計4回監査が実施され、うち聡子氏が出席したのは計3回で、延べ7時間37分の聴取を受けている。

 聡子氏は9月4日の監査の後、板倉氏に相談。9月26日の監査時の弁明書に、保険医の辞退、診療所の閉鎖等を促された旨のほか、「私の精神状態もおかしくなり、このまま診療を続けられる状態にありません」と記している。

 10月5日に聡子氏に対し、保険医療機関の指定取消と保険医登録取消の通知がなされ、10月26日に聴聞手続が行われた。10月30日の鳥取地方社会保険医療協議会でこれらの処分が決定。11月1日付けで取消処分が行われた。2006年10月から2007年6月までの間の診療報酬の不正請求額は、約50万円に上る。さらに、2007年11月30日までに、過去5年間にさかのぼり、カルテを精査した上で、レセプトの不正・不当請求カ所を訂正し、返還するよう求められた。その返還額は約1193万円に上った。


増田肇氏は、生前、聡子氏が「鳥取にはもう行きたくない」と語っていたことから、自身も鳥取での調停には出席しない予定だという。

 聡子氏の死亡後にも裁定委員会を開催

 聡子氏は、2007年11月29日に横浜市医師会への異動手続きを済ませ、翌11月30日に鳥取県東部医師会に退会の意向を伝えた。聡子氏は既に個別指導の後から抑うつ状態にあったが、12月3日の時点で正式な診断を受けている。12月10日に改めて、書面にて退会届を提出したところ、受領が拒否された。

 その後、最終的に退会が認められるまで、鳥取県東部医師会との間で、様々なやり取りが続いた。その一部を紹介すると、鳥取県東部医師会から裁定委員会開催の電話連絡があったのは12月16日。聡子氏の代わりに対応した肇氏は、心身状況から出席できない旨を説明。結局、12月19日に聡子氏欠席のまま、第1回裁定委員会が開催された。

 第2回裁定委員会について、電話連絡があったのは12月27日。12月28日に聡子氏は自殺。年が明けて2008年1月11日にプラザクリニックの従業員が、裁定委員会の通知書を受け取り、1月16日には肇氏のクリニックにも通知書が届いている。

 最終的に2月18日の第2回裁定委員会で、「厳重戒告以上とすべきであるが、当事者死亡につき処分は要しない」「退会届については、提出されていた2007年11月30日付けをもって受理致した」と決定。その手紙が、肇氏に届いている。

 監査における「立ち会い」の役割は?

 聡子氏の自殺は、指導・監査が関係しているが、今回の調停は、前述のように指導・監査を行う行政のあり方ではなく、指導・監査における医師会の役割などを考察するのが目的。

 井上氏は、「医師会は公益団体として、問題のある会員については処分するなど自律的な活動が求められる一方、任意団体であるのだから会員に対して便益を提供したり、保護する役割も担う。その両者の視点からどのように活動すべきか、常に難しいかじ取りが求められる」と指摘する。

 井上氏らは、2007年10月30日の鳥取地方社会保険医療協議会の議事録を入手。その中に、聡子氏の4回目の監査の状況について、板倉氏が次のように語ったとの記録がある。「私は一番最後に立ち会ったものですから、精神的に相当参っておられた。これは確かでございます。ですから、お話なさるにしてもですね、なかなか正常な聞き取りが出来ない状況にあったということでございます」「私が一番恐ろしかったのは、月に2回くらい横浜に帰るときにですね、飛行機がこのまま落ちてしまったらいいのにとか、そういう言葉がでてきたりいろいろしましてですね、正常な感覚を今は持ってなかった」。

 こうした点を踏まえ、井上氏は、「監査は拒否することはできず、行政による強権力の行使を意味する。ただし、監査においても、医師の人権を守らなければならず、立ち会い人は、監査を行う側に威嚇的な行為などがあれば、是正を求める必要がある。今回の場合は、聡子氏の体調が悪いことが明瞭だったように思うが、監査は継続された。この点について疑念を覚えており、事実関係は明らかにしていかなければならない」との考えを示す。肇氏も、「監査における立ち会いとは何なのかが、判然としない。同じ医師会の会長が立ち会うのが通例なのかも分からない。臨床医の立場を代表して第三者的な立場で立ち会うのだろうが、監査を受ける医師との間で諍いなどがあったら、足を引っ張ることもあり得るのではないか」と疑問を投げかける。

 さらに、肇氏によると、聡子氏の指導・監査では、指導医療官の時に脅迫に近い言動もあったようだ。指導・監査に関連したと思われる自殺は後を絶たない(『46歳開業医が自殺、個別指導が原因か』参照)。医師会だけでなく、行政側の対応も改めて問う必要があるだろう。

【増田肇氏らの調停申立の趣旨】
1.申立人らは、相手方社団法人鳥取県東部医師会に対し、退会理由が任意退会か死亡退会かによりいかなる違いが生じるか、それぞれの退会の効力発生時期につき説明を求める。
2.申立人らは、相手方社団法人鳥取県東部医師会に対し、故増田聰子医師の医師会の退会時期及び退会理由につき説明を求める。
3.申立人らは、相手方板倉和資に対し、医師に対する監査の現状につき説明を求める。
4.申立人らは、相手方板倉和資に対し、同人が立ち会っていた平成19年9月26日の監査時の故増田聰子医師の心身状態及び監査状況につき説明を求める。
5.申立人らは、相手方社団法人鳥取県東部医師会に対し、裁定委員会に付託するか否かを決する基準、要件につき説明を求める。
6.申立人らは、相手方社団法人鳥取県東部医師会に対し、故増田聰子医師の保険医取消処分につき裁定委員会に付託した理由及び裁定手続の経過につき説明を求める。
7.申立人らは、相手方社団法人鳥取県東部医師会に対し、故増田聰子医師の保険医取消処分につき、申立人増田肇に裁定委員会へ出席すべき旨の呼出しをした理由につき説明を求める。
8.申立人らは、相手方社団法人鳥取県東部医師会に対し、申立人らが故増田聰子医師に代わって、過去5年間の診療報酬の不正請求分として金1193万円を返還した場合に、故増田聰子医師が納付した過去5年間の医師会会費のうち所得割年額につきどう処理するかにつき説明を求める。
9.申立人らは、相手方社団法人鳥取県東部医師会に対し、相手方社団法人鳥取県東部医師会の会員であった増田聰子医師の死亡に対する弔慰をどう考えているかにつき説明を求める。

日医への報告内容も調停申立に追加鳥取・自殺開業医遺族、医師会と第1回調停 - 津曲

2012/09/15 (Sat) 08:56:02

http://www.m3.com/iryoIshin/article/158782/
日医への報告内容も調停申立に追加

鳥取・自殺開業医遺族、医師会と第1回調停

2012年9月14日 橋本佳子(m3.com編集長)


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 鳥取県の開業医で2007年12月に自殺した故増田聡子氏の遺族が、鳥取県東部医師会と同医師会長に鳥取簡易裁判所に調停を申し立てた事件で、9月13日に第1回の調停が開催された(『自殺した開業医遺族、鳥取県東部医師会と調停へ』を参照)。増田氏は指導・監査を苦に自殺したとされ、その前後に同医師会の退会が円滑に進まなかったことから、その経緯を明らかにすることが目的。

 13日の調停には、鳥取県東部医師会側は日程が合わないという理由から欠席。一方、増田氏側は代理人弁護士の井上清成氏が出席、調停の趣旨説明のほか、申立理由を追加した。同医師会が日本医師会に今回の経緯についてどのように報告をしたか、その説明を求める内容だ。

 日医は8月22日の定例記者会見で、厚生労働省に対し、「指導・監査等の見直しについての要望」を提出したことを説明(『鳥取・開業医自殺、「監査・医師会立会は適正」』を参照)。この要望の中で、「監査も医師会の立会も適正に行われたと理解している」と記載している。会見した日医常任理事の鈴木邦彦氏は、「適正」と判断した理由について、「当該医師会から聞いた事情に基づく判断であり、行政には本件に対する問い合わせはしていない」と説明している。 

 13日の調停の時間は約40分。調停の趣旨説明に当たっては、「2人の調停委員には、責任追及が目的ではなく、誠実な説明を聞き、医師会と会員の関係を調整するのが目的であることを説明した。したがって、相手が疑心暗鬼にならないで、誠実かつ柔軟に対応できるよう、調停を進めるように依頼した」(井上氏)という。次回の期日は10月11日で、鳥取県東部医師会側も出席予定だという。今後、何回程度で調停が終了するかどうかの見通しはまだ立っていない

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